曹植「応詔詩」札記4
おはようございます。
一昨日、曹植「応詔詩」の訳注稿を公開しました。
訳注作業をしながら気づいたことなどを、今日も書き留めます。
本作品において、『詩経』のある一句の一部分を引きながら、
典拠となった詩篇の文脈が意識されている可能性のある句を先に示しました。
このほか、『詩経』の一句をそのまま引いている事例もあります。
先行研究も夙に指摘している次の二例です。
第32句「再寝再興(再(すなは)ち寝ね再ち興く)」は、
『詩経』の秦風「小戎」の中の一句、
結びの第48句「憂心如酲(憂心 酲するが如し)」は、
小雅「節南山」の一句をそのまま用いたものです。
これらは、『詩経』の文脈を反映していると考えるのが自然だろうと思います。
ただ、典故とそれを踏まえた曹植詩との関係は屈折しています。
第32句が踏まえる秦風「小戎」のこの句の前には、
「言念君子(言(われ)は君子を念ふ)」という句がありますが、
この『詩経』の句と曹植詩とは直結しません。
曹植詩の方は、この句の前に「騑驂倦路(騑驂は路に倦み)」とあって、
険しい道をゆきなやむ添え馬のことを詠じており、
これと、「再寝再興(寝ても覚めても)」とはまっすぐにはつながらないのです。
しかも、『詩経』では、「君子を念う」のは、従軍する夫を思う妻の側です。
岩波文庫『文選 詩篇(一)』に指摘するとおり、*
この句には、曹植の曹丕に対する思いが伏流しているのだろうと私も思います。
では、曹植はなぜそれをこのような方法で隠微に表現したのでしょうか。
一方、曹植詩の結びに用いられた小雅「節南山」の前掲句は、
その後に「誰秉国成(誰か国の成(たひ)らかなるを秉(と)らん)」と続きます。
岩波文庫『文選』は、この典故を指摘した後、
「その文脈を意識して用いたとすれば曹丕に対する微意を含むことになる。」
と付記しています。
一首の結びに『詩経』の句をそのまま用いている、
そこには、曹植の強い思いがあったと考えないわけにはいきません。
ただ、それがどのような思いなのかは、もう少し検討してみないとわかりません。
2022年3月5日
*『文選 詩篇(一)』(岩波文庫、2018年)p.126を参照。