04-08 応詔

04-08 応詔  詔に応ず

【解題】
黄初四年(二二三)、詔に応じて都洛陽へ上ったことを詠ずる詩。「責躬」詩(04-19-1)とともに、文帝曹丕に奉られた。「上責躬応詔詩表」(04-19-0)の解題を併せて参照されたい。テキストは、李善注本『文選』に拠る。

粛承明詔  粛(つつし)みて明詔を承け、
応会皇都  皇都に会するに応ず。
星陳夙駕  星の陳(つら)なるとき夙(つと)に駕し、
秣馬脂車  馬に秣(まぐさか)ひ車に脂さす。
命彼掌徒  彼の掌徒に命じ、
粛我征旅  我が征旅を粛(つつし)む。
朝発鸞台  朝に鸞台を発し、
夕宿蘭渚  夕に蘭渚に宿す。
芒芒原隰  芒芒たる原隰、
祁祁士女  祁祁たる士女。
経彼公田  彼の公田を経、
楽我稷黍  我が稷黍を楽しむ。
爰有樛木  爰(ここ)に樛木有るとも、
重陰匪息  重陰にも息(いこ)はず。
雖有餱糧  餱糧有りと雖も、
飢不遑食  飢ゑても食するに遑(いとま)あらず。
望城不過  城(まち)を望むも過(よぎ)らず、
面邑不遊  邑(むら)に面(むか)ふも遊ばず。
僕夫警策  僕夫は策(むち)を警(いまし)めて、
平路是由  平路に是れ由る。
玄駟藹藹  玄駟 藹藹として、
揚鑣漂沫  鑣(くつわ)を揚げて沫(あわ)を漂(ひるがへ)す。
流風翼衡  流風は衡(くびき)を翼(たす)け、
軽雲承蓋  軽雲は蓋(かさ)に承(つら)なる。
渉澗之浜  澗(たにみず)の浜(みぎは)を渉(わた)り、
縁山之隈  山の隈に縁(よ)る。
遵彼河滸  彼の河の滸(ほとり)に遵(したが)ひ、
黄坂是階  黄坂に是れ階(よ)る。
西済関谷  西のかた関谷を済(わた)り、
或降或升  或いは降り或いは升る。
騑驂倦路  騑驂は路に倦み、
再寝再興  再(すなは)ち寝ね再ち興(お)く。
将朝聖皇  将に聖皇に朝せんとすれば、
匪敢晏寧  敢へて晏寧なるに匪(あら)ず。
弭節長騖  節を弭して長く騖(は)せ、
指日遄征  日を指して遄(すみ)やかに征(ゆ)く。
前駆挙燧  前駆は燧(ひ)を挙げ、
後乗抗旌  後乗は旌(はた)を抗ぐ。
輪不輟運  輪は運(めぐ)るを輟(や)めず、
鑾無廃声  鑾(すず)は声を廃する無し。
爰曁帝室  爰(ここ)に帝室に曁(いた)り、
税此西墉  此の西墉に税(やど)る。
嘉詔未賜  嘉詔 未だ賜らず、
朝覲莫従  朝覲するに従(よ)る莫し。
仰瞻城閾  仰ぎては城閾を瞻(み)、
俯惟闕庭  俯しては闕庭を惟(おも)ふ。
長懐永慕  長く懐ひ永く慕ひて、
憂心如酲  憂心 酲するが如し。

【通釈】
謹んで詔を承り、都で天子にお目通りすることとなった。そこで、空に星の連なる夜明け前から車を整え、馬にまぐさを与え、車輪に油をさしたのであった。
かの供回りの頭に命じ、我が旅の一行を厳粛に戒めて、朝に鸞台を出発し、夕べには蘭の香る水辺に宿をとった。
どこまでも広がる平原や湿地に、たくさんの男女が野良仕事に精を出している。かの公田をよぎりながら、わが黍の育ち具合が目に楽しい。
枝の下垂する大木があっても、その重なる木蔭の下で休みはしないし、食べ物を持ってはいるが、空腹でもそれを口にする暇はない。
遠方に街並みが見えても立ち寄らず、村里を目の前にしても遊覧はしない。御者は馬に鞭を当て、平らな道に沿って進みゆく。
四頭の黒毛の馬は勢い盛んに、轡を付けた頭を振り上げ、口から泡を飛ばして走る。流れる風は馬車の疾走を助け、軽やかな雲は車の傘に連なって飛ぶ。
谷川のほとりを渉り、山の隈をなぞって回り込む。あの河の滸(ほとり)に沿って、黄土の坂道をよりどころに進む。
西のかた関や谷を渡って、下ったり上ったりする。添え馬はすっかり走り疲れ、私は寝ても覚めても苦しい旅を続けながら、あの方のことを繰り返し思う。
これから聖なる皇帝に謁見しようというのだから、とても平穏な気持ちではいられない。手綱をしっかりと抑えて長い道のりを馳せ、西へ懸かる白日を目指して、速やかに進んでゆく。先導者は火を掲げ、後方の車馬は旌旗を高く立てて従う。車輪は回転を止めず、鈴の音も鳴りやむことはない。
こうして、王宮に到着すると、この西の宮殿に宿ることとなった。しかし、有難い詔を未だ賜らない以上、天子にお目通りしようにも手立てがない。
振り仰いで宮城の敷居を見上げたり、うつむいて宮中の庭を思い浮かべたりしている。あの方のことを長く思い慕うあまり、憂いでいっぱいの胸中はまるで悪酔いしたような心地だ。

【語釈】
○明詔 英明なる方から下された詔。詔の美称。用例として、班固「東都賦」(『文選』巻一)に「乃申旧章、下明詔(乃ち旧章を申べて、明詔を下す)」と。
○会皇都 「会」は、方々から朝廷に参集する。前掲の班固「東都賦」に「春王三朝、会同漢京(春 王の三朝、漢京に会同す)」と。
○星陳夙駕 『毛詩』鄘風「定之方中」にいう「星言夙駕(星みて言に夙に駕す)」を踏まえ、早朝に出立することをいう。
○秣馬脂車 馬にまぐさを与え、車に油を差して、出立の準備をする。たとえば、『毛詩』周南「漢広」に「之子于帰、言秣其馬(之の子は于(ゆ)き帰(とつ)ぐ、言(われ)は其の馬に秣(まぐさか)ふ)」、同小雅「何人斯」に「爾之亟行、遑脂爾車(爾の亟行するに、爾の車に脂さす遑(いとま)あらんや)」と。
○掌徒 徒歩で従う者たちを司る責任者。あまり用例を見出せない語。
○粛我征旅 「粛」は、重々しく戒める。『礼記』祭統の「宿夫人」に対する鄭玄注に、「宿読為粛、粛猶戒也。戒軽、粛重也(宿は読みて粛と為し、粛とは猶ほ戒むるがごときなり。戒は軽く、粛は重きなり)」と。「征旅」は遠方へ向かう旅の一行。
○朝発鸞台、夕宿蘭渚 「朝」「夕」の対句は、先秦時代から頻用される。類似表現として、『楚辞』九章「渉江」に「朝発枉渚兮、夕宿辰陽(朝に枉渚を発し、夕べに辰陽に宿る)」と。「鸞」は、鳳凰に似た神鳥。「蘭」は、香草のふじばかま。それらの語を冠した「鸞台」「蘭渚」は、楼台、水辺の美称。例として、李善注に引く『漢宮闕名』に「長安有鴛鸞殿(長安に鴛鸞殿有り)」、漢の公孫乗「月賦」(『古文苑』巻三)に「鵾鶏舞於蘭渚、蟋蟀鳴於西堂(鵾鶏は蘭渚に舞ひ、蟋蟀は西堂に鳴く)」と。
○芒芒原隰 「芒芒」は、広大なさま。『毛詩』商頌「玄鳥」にいう「宅殷土芒芒(殷土の芒芒たるに宅す)」の毛伝に「芒芒、大貌(芒芒は、大いなる貌なり)」と。「原隰」は、平原と湿地。『毛詩』小雅「皇皇者華」にいう「于彼原隰(彼の原隰に于(おい)てす)」の毛伝に「高平曰原、下湿曰隰(高平なるを原と曰ひ、下湿なるを隰と曰ふ)」と。
○祁祁 多いさま。『毛詩』豳風「七月」に「春日遅遅、采蘩祁祁(春日は遅遅たり、蘩を采る 祁祁たり)」、毛伝に「祁祁、衆多也(祁祁は、衆多なり)」と。
○公田 井字型に区分けした中央の田。その周囲の区画は農民たちの私田である。『毛詩』小雅「大田」に「雨我公田、遂及我私(我が公田に雨ふり、遂に我が私に及ぶ)」と見える。
○楽我稷黍 自分の田畑に黍稷がすくすくと生育するさまは、『毛詩』小雅「楚茨」に「我黍与与、我稷翼翼(我が黍は与与たり、我が稷は翼翼たり)」と歌われている。
○爰有樛木、重陰匪息 上の句は、『毛詩』の邶風「凱風」にいう「爰有寒泉(爰に寒泉有り)」と、周南「樛木」にいう「南有樛木(南に樛木有り)」とを綴り合せた表現。両句を併せて、『毛詩』周南「漢広」にいう「南有喬木、不可休息(南に喬木有り、休息す可からず)」を踏まえる。
○餱糧 携帯用の食糧。『毛詩』大雅「公劉」に「迺裹餱糧(迺ち餱糧を裹む)」と。
○飢不遑食 類似句が、李善注に引く『呉越記』に「采葛婦人詩」として「飢不遑食四体疲(飢えても食するに遑あらず四体は疲る)」と。
○僕夫警策 「僕夫」は、御者。「警策」は、馬に鞭を当てて勢いづけたり制御したりすること。一句に類似する句として、傅毅「舞賦」(『文選』巻十七)に「僕夫正策(僕夫は策を正す)」と。
○藹藹 勢いが盛んなさま。
○揚鑣漂沫 前掲の傅毅「舞賦」に「龍驤横挙、揚鑣飛沫(龍のごとく驤(あ)がり横(ほしいまま)に挙がり、鑣(くつわ)を揚げて沫を飛ばす)」と。
○流風翼衡 「翼」は、支援する。「衡」は、くびき。一句は、流れる風が、車の疾走をたすけることをいう。発想を、揚雄「甘泉賦」(『文選』巻七)にいう「風漎漎而扶轄兮(風は漎漎として轄(くさび)を扶(たす)く」に学んだ可能性がある。
○軽雲承蓋 「承」は、連なる。『楚辞』九章「渉江」に「雲霏霏而承宇(雲は霏霏として宇に承なる)」、王逸注に「室屋沈没与天連(室屋は沈没して天と連なる)」と。「蓋」は、車蓋。車の上に立てた傘。
○河滸 河のほとり。『毛詩』王風「葛藟」に「綿綿葛藟、在河之滸(綿綿たる葛藟、河の滸に在り)」、毛伝に「水厓曰滸(水厓を滸と曰ふ)」と。
○黄坂是階 「黄坂」は、黄土の坂道。「階」は、よりどころとする。
○西済関谷 「関谷」について、『文選』李善注は、陸機「洛陽記」(佚)にいう「洛陽有西関、南伊闕(洛陽に西関、南伊闕有り)」を引き、「谷とは、即ち大谷なり」(『後漢書』巻七十二・董卓伝の李賢等注に「大谷口在故嵩陽西北三十五里、北出対洛陽故城(大谷口は故嵩陽の西北三十五里に在り、北のかた出づれば洛陽故城に対す)」とある)と注するが、必ずしも固有名詞と取る必要はない。伊藤正文『曹植(中国詩人選集3)』(岩波書店、一九五八年)七十五頁を参照。
○騑驂 四頭立ての馬車の、外側にいる左右一対のそえ馬。李善注に引く『韓詩』(『詩経』鄭風「大叔于田」)に「両驂雁行(両驂 雁行す)」、薛君章句に「両驂、左右騑驂(両驂は、左右の騑驂なり)」と。
○再寝再興 『毛詩』秦風「小戎」にいう「言念君子、載寝載興(言(われ)は君子を念ひて、載(すなは)ち寝ね載ち興く)」をそのまま用いる。本詩の文脈から見て、寝ても覚めても続く旅の苦しさを表現したものか。他方、『毛詩』にいう「言念君子」を響かせて、皇帝への強い思いを言外に示した表現とも取り得る。『文選 詩篇(一)』(岩波文庫、二〇一八年)一二六頁を参照。「再」は「載」に同じ。重ねて用い、……したり、……したりの意味を表す。「再」字に作るのは、曹植が『詩経』の解釈の一派、韓詩に拠ったためであるかもしれない。陳寿祺撰・陳喬樅述『三家詩遺説考』韓詩遺説攷五(王先謙編『清経解続編』巻一一五五所収)を参照。
○聖皇 皇帝に対する尊称。ここでは魏の文帝、曹丕を指す。
○匪敢晏寧 「匪」は、否定の助字、非に同じ。「晏寧」は、安寧に同じ。気持ちの平穏な状態でいることをいう。
○弭節 馬車の走行を抑制して、安定的に進んでゆく。『楚辞』離騒に「吾令羲和弭節兮(吾は羲和をして節を弭せしむ)」、王逸注に「弭、按也。按節、徐歩也(弭は、按なり。節を按じて、徐に歩むなり)」と。
○遄征 速やかに進んでゆく。蔡琰「悲憤の詩」(『後漢書』巻八十四・列女伝)に「遄征日遐邁(遄やかに征きて日ごとに遐く邁く)」と。
○前駆 一行の先導者。『毛詩』衛風「伯兮」に「伯也執殳、為王前駆(伯や殳を執り、王の為に前駆す)」と。
○挙燧 用例として、張衡「西京賦」(『文選』巻二)に「升觴挙燧(觴を升げ燧を挙ぐ)」、薛綜の注に「燧、火也」と。
○抗旌 用例として、『漢書』巻六十四下、終軍伝に「票騎抗旌、昆邪右衽(票騎 旌を抗ぐれば、昆邪は右衽す)」と。「旌」は、旗竿の上に五色の飾りを付けた旗。『周礼』春官・司常に「全羽為旞、析羽為旌(全羽を旞と為し、析羽を旌と為す)」、鄭玄注に「全羽析羽、皆五采繫之於旞旌之上、所謂注旄於干首也(全羽・析羽は、皆五采之を旞旌の上に繫ぐ、所謂旄を干首に注するなり)」と。
○鑾 馬車の横木に付けた鈴。『毛詩』小雅「庭燎」に「君子至止、鸞声将将(君子至る、鸞の声将将たり)」、毛伝に「君子、謂諸侯也。将将、鸞鑣声也(君子とは、諸侯を謂ふなり。将将とは、鸞鑣の声なり)」と。「鑾」は、「鸞」に通ず。
○税此西墉 「税」は、宿る。『毛詩』召南「甘棠」に「召伯所説(召伯の説る所なり)」、毛伝に「説、舎也(説は、舎るなり)」、『経典釈文』に、「説」字、ある本は「税」に作ると記す。「墉」は、宮城。一句に対応する内容が、「上責躬応詔詩表」(04-19-0)にも「僻処西館(西の館に僻処す)」と見えている。
○朝覲莫従 「朝覲」は、皇帝に謁見する。「従」は、由るところ、手立て。
○仰……俯…… 漢魏詩に頻見する言い回し。たとえば『文選』巻二十九、蘇武「詩四首」其四に「俯観江漢流、仰視浮雲翔(俯しては江漢の流るるを観、仰ぎては浮雲の翔るを視る)」、曹丕「雑詩二首」其一に「俯視清水波、仰看明月光(俯しては清水の波を視、仰ぎては明月の光を看る)」など。
○閾 境界を区切る、門の横木。
○長懐 用例として、『楚辞章句』劉向「九歎・遠逝」(『楚辞章句』巻十六)に「情慨慨而長懐兮、信上皇而質正(情慨慨として長く懐ひ、上皇を信じて質正す)」と。
○憂心如酲 『毛詩』小雅「節南山」に「憂心如酲、誰秉国成(憂心 酲するが如し、誰か国の成(たひ)らかなるを秉(と)らん)」とあるのをそのまま用いる。「酲」は、悪酔いする。前掲詩の毛伝に「病酒曰酲(酒に病むを酲と曰ふ)」と。