古代の書物に引く俗文学

こんばんは。

「雑詩六首」其二(『文選』巻29)の語釈を追補修正する中で、
同じ故事が、異なる書物に引用されている事例に、また目が留まりました。

第一句「転蓬離本根(転蓬 本根を離る)」について、
李善注が指摘する『説苑』の記事、
すなわち、若くして祖国を棄てて斉に出奔した魯の哀公が、
逃亡先の斉侯に対して、自身の立場の脆弱さを比喩的に述べていう、
「是猶秋蓬悪於根本而美於枝葉、秋風一起、根且抜矣
(是れ猶ほ秋蓬の根本を悪くして枝葉を美しくし、
 秋風一たび起こらば、根は且(まさ)に抜けんとするがごとし)」がそれです。

『説苑』敬慎篇に見えるこの故事と辞句は、
『晏子春秋』内篇雑上「景公賢魯昭公去国而自悔晏子謂無及已」にも引かれています。
斉へ逃亡した人が、魯の哀公ではなくて昭公であったり、
先に挙げた科白の中の辞句が少し異なって、
「譬之猶秋蓬也、孤其根而美枝葉、秋風一至、根且拔矣
(之を譬ふれば猶ほ秋蓬のごとくして、其の根を孤にして枝葉を美しくし、
 秋風一たび至らば、根は且に拔けんとするがごとし)」であったりの違いはありますが、
基本的には、話の筋は同じですし、要となる表現も同じです。

一昨日も述べたのですが、
これらはもともと口頭で伝わる故事だったのかもしれません。

思えば、古い時代の書物には、
孝子曹参とその母の故事(この記事の致命的な誤記を修正しました)や、
孔子の師となった子ども項橐の故事など、

文献上にはその話のほんの一部しか記されていない、
つまり、その話が周知であることを前提とするような記述が見えます。
(そうした話は往々にして画像石に描かれています。)
これも、民間に流布する口承文芸のようなものだったのでしょう。

曹植作品には、そのような俗文芸が多く取り込まれているようです。
もっとも、曹植には伝存する作品数が多いので、
そのことが際立って見えるということなのかもしれませんが。

2022年5月17日