魔がさすように
こんばんは。
黄初年間の曹植の動向を精査するため、
「黄初五年令」(『曹集詮評』巻8)の訳注を始めました。
すると、「伝に曰く」として引かれた句が、
『尚書』皋陶謨にいう「知人則哲(人を知るは則ち哲なり)」と、
その前の句に対する(偽)孔安国伝の概略的内容の綴り合せであったり、
また、「諺に曰く」として引かれた句が、
こちらにも記したとおり、『春秋左氏伝』襄公三十一年の句だったりします。
このようなことに遭遇したとき、
若い頃は、昔の人のいい加減さに笑っていました。
中年になると、そのいい加減さが示す奥行きがおそろしくなりました。
そして、この頃は、自分の無知を思い知るということ以上に、
彼我の住む世界の隔たりを、つくづく感じることの方が強くなってきました。
曹植の中には様々な古典語がたっぷりと蓄積されていて、
それらを、記憶をたぐりよせるように自在に引用しているのでしょう。
彼はそうした言葉の世界を普通に呼吸していたのです。
けれども、自分にとってそれらは、辞書などによってやっと知り得る言葉です。
彼らの普通が、自分にとってはそうではない、
そんな異なる座標の上に生きた人の書き残したものを、
ただでさえ鈍い自分が、素手で理解できるとは思えません。
だから、時間がかかっても地味に細かく読んでいくしかないのですが、
それをやって、何か少しでも人の役に立てることがあるだろうか、
などと考えてしまう魔が時折ふらりと訪れます。
誰かの役に立とうなどと不遜なことを思うからいけない。
とはいっても、これは趣味でやっているのではなくて、仕事なのだから。
こう右往左往することを、けれど無意味とは思わないでおきます。
現代における古典研究の意義を考えることをばかにしない、
けれど、しっかり手は動かして読み続けます。
2022年7月11日