長雨と天人相関説
こんばんは。
以前、こちらの拙論で論及したことのある長雨と天人相関説について、
少しばかり反証めいたことを記しておきます。
それは、長雨が常に天子の失政に起因するとは限らない、
という至極当然の事実です。
先に論じた「贈丁儀」詩(訳注稿04-10)では、
「朝雲不帰山、霖雨成川沢(朝雲 山に帰らず、霖雨 川沢を成す)」の後に、
「黍稷委疇隴、農夫安所獲(黍稷 疇隴に委てらる、農夫 安んぞ獲る所ぞ)」が続き、
更にその次の一段では直接的な為政者批判が為されていますので、
当該詩に詠じられた長雨は、天人相関説に結び付け得ると判断できます。
けれども、曹植は別に「愁霖賦」という作品で長雨を詠じ、
しかも、曹丕や応瑒も同じ題名の作品を残しています(『藝文類聚』巻2)。
応瑒は建安22年(217)に疫病で亡くなっていますから、
もし、現存する曹丕・曹植・応瑒の作品が同じ機会に作られたのならば、
曹植の「愁霖賦」も当然、曹操存命中の建安年間の作だということになります。
そして、それらの作品には特段の為政者批判は認められず、
描かれているのは、雨の中、行き悩む車の様子、おそらくは行軍の有様です。
こうしてみると、この時代の文人たちが持ち出す天人相関説は、
君主を批判するため、用意周到に設定されたフレームなのだと考えられます。
いくら現代自然科学とは別世界に生きていた人々だとはいえ、
悪天候が人間の所業に起因するものだとは信じていなかったでしょう。
(このことは、先にもこちらで述べました。)
2022年8月24日