先行研究との分岐点:遊仙詩の生成経緯

過日、五言遊仙詩の生成経緯を考えるに当たって、
漢代の宴席における、神仙を題材とした歌舞劇の上演という視点を提示してみました。

ただ、神仙を詠ずる楽府詩が、漢代宴席で行われるものであったとする説であれば、
矢田博士氏が、陳祚明の説を引用しながら、次のようにまとめています。*

神仙楽府は、貴族などの宴会で歌われた祝頌歌辞として、漢代に初めて登場した。そして、それは主として宴会に招かれた賓客が、その返礼として主人の延命長寿を祈願するために作られた。この点に関しては、清の陳祚明が、最も端的に言及していると思われるので、その説を挙げておく。

合楽於堂者、皆富貴人也。為詞以進者、皆以祝頌也。富貴人復何可祝。所不知者寿耳。故多言神仙。為詞以進者、大抵其客。此客承恩深、故其詞如此。
(『采菽堂古詩選』巻二、善哉行)

今、この陳祚明の説を、私なりに通釈すれば次のとおりです。

表座敷で声を合わせて歌曲を歌うのは、みな富貴の人である。祝辞を作って奉るのは、みなそれで主人を言祝ぐのである。富貴の人に対して、また何を言祝ぐべきか。先が見えないのは寿命だけである。だから、神仙に多く言及するのだ。祝辞を作って奉るのは、大抵その客である。この客は、主人から受けている恩恵の深さ故に、その言葉がこのような様子なのだ。

「合楽」は、『儀礼』郷飲酒礼に見える語で、そこでは『詩経』が合唱されています。

さて、では、こうした先行研究の蓄積に対して、
私の試論が新たに付け加え得る何ものかはあるのでしょうか。

人によっては、宴席というキーワードを共有するのだから、と言って同一視されるでしょう。
ただ、ほんの少し視角をずらせば、事象を一層クリアに捉えることができるのに、
と感じることは割とあって、そのあたりを丁寧に説明したいと考えています。
(この場合は、“宴席という場で演じられた神仙劇”に着目する視点の導入です。)

もちろん、何も付け加えることはないという結果になる可能性もあります。

2023年8月2日

* 矢田博士「曹植の神仙楽府について―先行作品との異同を中心に―」(『中国詩文論叢』9号、1990年)を参照。この論文の概要は、こちらに示したことがある。