曹丕「柳賦」とその波及
昨日言及した曹丕「柳賦」は、
次のような序文からその制作背景が知られます。
昔建安五年、上与袁紹戦於官渡時、余始植斯柳、自彼迄今、十有五載矣。
感物傷懐、乃作斯賦。
その昔、建安五年(200)、上(曹操)が袁紹と官渡で戦っていた時、
わたくしは始めてこの柳を植えたが、あれから今に至るまで、十五年になる。
物に心を揺さぶられ、胸が痛み、そんなわけでこの賦を作った。
その賦の本文には、次のような慨嘆が見えています。
この柳を庭に植えたとき、自分は十四歳で、柳は小さな苗木であった。
今、柳は大きく成長し、時の移ろいや、人の世のはかなさを思うと胸が痛む。
こうした言葉からは、感傷的な気分は濃厚に漂ってくるのですが、
植物と人間とを対比させて、心底、無常を慨嘆しているようには感じ取れません。
そのように感じられるのは、作中の言葉に加えて、
応瑒や王粲に同名の作品が残っていること(『藝文類聚』巻89)、
つまりは、おそらく同じ場で競作されたのであろうこととも関連しているでしょう。
たとえば、曹丕の「与呉質書」(『文選』巻42)などにも顕著なとおり、
この当時の宴席は、感傷的な気分で充たされているのが常でした。
しかし、桓温の場合はどうなのでしょう。
桓温の故事を踏まえた庾信、更には杜甫はどうなのでしょうか。
たとえ同じ発想や言葉を継承したとしても、
それを受け止めた人それぞれの置かれた状況によって、
その核となる言葉は、色合いを変えていっているように思えてなりません。
2023年12月12日