表現と現実
曹植「七哀詩」に見える次の対句、
君若清路塵 君は清路の塵の若く、
妾若濁水泥 妾は濁水の泥の若し。
これとほとんど同じディテールを用いて意味をずらした表現が、
同じ作者の「九愁賦」にも次のとおり見えています。
(このことは、以前こちらでも言及しました。)
寧作清水之沈泥 寧ろ清水の沈泥と作(な)るとも、
不為濁路之飛塵 濁路の飛塵とは為らざれ。
路上の塵と、水底の泥とを対比させている点で、両作品は共通しています。
ですが、「七哀詩」では、路上は清く、水は濁っている一方、
「九愁賦」では、路上は汚濁にまみれ、水は清らかに澄んでいます。
泥だけ、あるいは塵だけなのであれば、
たまたま同じものを詠じただけだとも考え得るのですが、
泥と塵とを併せた表現となれば、単なる偶然と見ることはできません。
そして、それぞれの属性が両作品間で入れ替わっているのは、
敢えて為された表現なのだろうと推し測れます。
「塵」と「泥」とは、
黄節が「七哀詩」に関して評しているとおり、*
もとは同じ物質であったものがふたつに分離してできたもの、
すなわち血を分けた兄弟、曹丕と曹植とをいうのだ、と解釈できます。
では、「七哀詩」と「九愁賦」とで、
「塵」と「泥」との清濁が入れ替わっていることはどう解釈すべきでしょうか。
もしそれが、上述のように意図して為されたものなのだとしたら、
その表現の違いは、作品の作られた時期によるのではないか、とふと思いました。
つまり、兄弟間の関係性が劇的に転換した時期の前後に、
両作品の成立時期が振り分けられるのかもしれないという思いつきです。
表現を現実と結びつけて解釈する必要はない、という見解もあるでしょう。
ですが、漢代「古詩」の世界をよく再現している「七哀詩」の中で、
あるいは、『楚辞』的世界を彷彿とさせる「九愁賦」の中で、
前掲の対句は突出して異彩を放っています。
その突出した表現が何に由来するのかを探りたいのです。
2024年4月4日
*黄節『曹子建詩註』(中華書局、1976年重印)巻1、p.4を参照。