曹丕も示唆してくれた。
ずいぶん前のことになりますが、
曹植の「七啓」や「妾薄命二首」其一といった作品が、
古詩に関する私論の傍証となり得ることを記したことがあります。
すなわち、
「古詩十九首」其六(『文選』巻29)の如き原初的古詩は、
後宮の女性たちを交えた宮苑内の水辺で誕生したと推定されるが、
そうした情景を再現するような描写が、前掲の二つの作品に認められる、
という内容の、こちらやこちらの雑記です。
本日、曹丕「秋胡行」(『藝文類聚』巻41、『楽府詩集』巻36)にも、
同様な描写が、より明瞭に見えていることに気づいたので、
今、ここにその全文を訳出しておきます。
汎汎淥池 さらさらと流れる清らかな池の水、
中有浮萍 その中に水草が浮かんでいる。
寄身流波 それは、流れる波に身を寄せて、
随風靡傾 風に吹かれるがままに靡いている。
芙蓉含芳 芙蓉(ハス)は芳香を含み、
菡萏垂栄 菡萏(ハス)は花びらを垂れている。
朝采其実 朝にはその実を摘んで、
夕佩其英 夕べにはその花を身に帯びる。
采之遺誰 これを摘んで誰に送り届けるかといえば、
所思在庭 思いを寄せるあの人は庭にいる。
双魚比目 比目の魚は目をならべ、
鴛鴦交頸 鴛鴦は首を交えている。
有美一人 ひとりの美しい人がいて、
婉如青陽 そのたおやかさは春の日のようだ。
知音識曲 音曲をよく知っていて、
善為楽方 音楽の演奏に長けている。
ことに、第9・10句目「采之遺誰、所思在庭」は、
「古詩十九首」其六にいう「采之欲遺誰、所思在遠道」のほとんど引き写しです。
こうした表現が、宴の催されている庭園内の一角に見えているのです。
実は、この作品の本文と読み下しは、
比較的最近、こちらに記していたのですが、
その時には、「浮萍」に目を奪われていて、
そこに古詩的世界が再現されていることに気づいていませんでした。
一点に集中すると、他のものが目に入らなくなります。
集中と散漫と、どちらも大事だと思いました。
2024年8月1日