曹植の「棄婦篇」と「贈徐幹」

昨日指摘した通り、
曹植「棄婦篇」と徐幹「室思詩」との間には、
ほとんど同一といってよい辞句が共有されています。
そこから想像をたくましくし、もしかしたら「棄婦篇」は、
徐幹を視野に入れることによって読み解けるかもしれないと述べました。

そのように述べたのは、
「贈徐幹」詩に、徐幹を描いたと見られる次の句、

顧念蓬室士  振り返って粗末な草堂に暮らす人物に思いを致せば、
貧賤誠足憐  その貧賤のあり様にはまことに憐憫を禁じ得ない。
薇藿弗充虚  のえんどうや豆の葉では空腹を満たせないし、
皮褐猶不全  粗末な皮衣では身体を十分に覆うこともできない。

これと、「棄婦篇」に見える次の句、

棲遅失所宜  世間から離れて居場所を失い、
下与瓦石并  身を落として瓦や石などと共にいる。

この両者が重なって見えたからです。

もちろん、表現そのものはそれほど似ていません。
けれども、「棄婦」という当時としてはよくあるテーマの詩の中に、
かなり唐突に現れるこの句は、ただ単に「棄婦」を詠じたようには見えません。
それよりも、前掲の「贈徐幹」の方に近い感触があります。

「棄婦篇」も「贈徐幹」詩も読み難い作品で、
これまでにも何度か取り上げて考察したことがあります。
読み難い作品をかけあわせると、かえって謎が氷解する場合もあります。

2024年12月11日