二人の仙人

曹植「飛竜篇」(05-36)について、
朱乾『楽府正義』巻12には、任昉『述異記』の記事を挙げています。

今、それを「増訂漢魏叢書」所収『述異記』巻下によって示せば次のとおりです。

湘州栖霞谷、昔有橋順二子、於此得仙。服飛竜一丸、千年不飢。
故魏文詩曰、西山有仙童、不飲亦不食、即此也。

湘州の栖霞谷に、昔橋順の二子有り、此に於いて仙たるを得。飛竜一丸を服して、千年飢えず。
故に魏文の詩に曰く「西山に仙童有り、飲まず亦た食せず」とは、即ち此れなり。

これとほとんど同じ記事が、
『太平御覧』巻45に引く『顔脩内伝』という書物に次のとおり見えています。

橋順、字仲産、有二子曰璋、曰琮。師事仙人盧子基於隆慮山栖霞谷、教二子清虚之術、服飛竜薬一丸、千年不飢。魏文帝詩曰、西山有双童、不飲亦不食、謂此也。

橋順、字は仲産、二子有り 璋と曰ひ、琮と曰ふ。、仙人の盧子基に隆慮山栖霞谷に於いて師事し、(盧子基は)二子に清虚の術を教へ、(二子は)飛竜薬一丸を服して、千年飢えず。
魏の文帝の詩に曰く「西山に双童有り、飲まず亦た食せず」とは、此れを謂ふなり。

『述異記』や『顔脩内伝』に言及された魏の文帝曹丕の詩とは、
「西山・折楊柳行」(『宋書』巻21・楽志三)のことで、こう詠じられています。

西山一何高、……上有両仙童、不飲亦不食。与我一丸薬、光耀有五色。
 西山一に何ぞ高き、……上に両仙童有り、飲まず亦た食せず。我に一丸薬を与へ、光耀五色有り。

二人の仙人は、曹植「苦思行」(05-23)にも描かれており、
玉樹に纏わる緑蘿の下に、二人の「真人」がいて、翅を挙げて翻っています。

これらの仙人たちは、すべて橋順の二人の子に収斂される存在なのでしょうか。
それとも、こうした仙人は多く二人でいるものなのでしょうか。

神仙のことになると、とたんに視界がぼんやりしてきます。
古典的な文献も、明瞭に見えているというわけではないのですが、
少なくとも調べていけばいつかはたどり着けるところがあると思えるのです。
その点、神仙や口承の故事などは、博覧強記ではない自分には非常に難しいと感じます。

2025年10月16日