曹植「飛竜篇」の制作年代

本日、曹植作品訳注稿「飛竜篇」(05-36)を公開しました。

曹植の遊仙詩には、現実からの脱却として詠じられるものが多い、
ということをかつて述べたことがあります(たとえばこちら)。
たとえば「遠遊篇」(05-24)はその顕著な一例です。

ところが、この要素が「飛竜篇」には認められません。
詩全体がすっぽりと神仙世界に入り込んでいて、その枠外への言及が無いのです。

他方、遊仙詩の生成は宴席という場と深く関わっている可能性がある、
という見通しをかつて述べたことがあります(直近ではこちら)。
具体例として、たとえば「遊仙」(05-14)が挙げられます。

ところが、この要素も、「飛竜篇」には見当たりません。
詩中に登場するのは「我」と仙人だけで、宴に集う人々の姿は見えません。

現実からの脱却として詠じられる遊仙詩は、
曹植にとって苦難の時代であった黄初年間の作である可能性が高いでしょう。

宴席で作られたと見られる遊仙詩であれば、
曹植が建安文壇の中でのびのびと詩作に興じていた頃の作と推測し得ます。

そのどちらでもない「飛竜篇」は、どのような環境の中で作られたのでしょうか。

趙幼文氏、曹海東氏が、本詩を晩年の作としているのは、*
妥当な推論なのかもしれないと思います。

2025年10月22日

* 趙幼文『曹植集校注』(人民文学出版社、1984年)p.397、曹海東『新訳曹子建集』(三民書局、2003年)p.255を参照。