漢魏詩に現れる地名

漢魏の頃の詩に現れる地名は、どう捉えればよいのでしょうか。
読み始めた曹植「盤石篇」ですが、もうこの問題でつまずいています。

本詩は、昨日述べたように、
「盤石山巓石(盤石なり 山巓の石)」という句に始まり、
これを受ける第二句が「飄颻澗底蓬(飄颻たり 澗底の蓬)」です。

「飄颻澗底蓬」は、「蓬」が「飄颻」とともに現れるという点で、
曹植「雑詩六首」其二(04-05-2)にいう
「転蓬離本根、飄颻随長風(転蓬 本根を離れ、飄颻として長風に随ふ)」に似通い、
また、寄る辺なく風に舞う「蓬」は「吁嗟篇」(05-25)をも想起させます。

第一句の「盤石」が王朝のゆるぎなさを喩える語であるならば、
冒頭のこの両句は、曹魏王朝における曹植の立場の象徴かと推定できそうです。

ところが、続く第3・4句にこうあります。

我本泰山人  我はもともと泰山の人間であるのに、
何為客淮東  どうして淮水の東に寄る辺なき身を置いているのか。

「泰山」「淮東」という地名は、どういうわけで本詩に登場したのでしょうか。

曹植が現実にもともと泰山の人であったか、
淮水の東に身を置いているとは、いつの時期のことを指しているのか。

そのように、詩中の言葉を、一対一で、作者の現実に結びつける必要はないと思います。

ただ、それではなぜ曹植は、「泰山」と「淮東」という具体的な地名を、
本詩中に持ち出して敢えて詠ずる必要があったのでしょうか。

本詩はこの後にも「蒼梧」「九江」といった地名に言及します。

そこまで読み進めたとき始めて、
先に述べた疑問もほぐれるのかもしれません。

2025年10月25日