「前録自序」の成立年代

昨日に続いて、曹植の「前録自序」についてです。

姚振宗は、これを建安年間に記されたものと捉えていました。
この文章の内容を、曹植「与楊徳祖書」と楊修「答臨淄侯牋」との往還に重ね、
「前録自序」にいう「刪定」は、曹植から楊修に依頼されたものだと見てのことです。

これに対して趙幼文は、曹植が自身の作品集を編んだのは晩年であり、
「前録自序」の書かれたのもその時だとしていました。

この問題に関して、以下に別の視点から推測してみます。
その視点とは、「前録自序」における「秋蓬」という語の用い方です。
今、この文章の前半を句ごとに改行して示せば次のとおりです。
過日引用した文章はこの後に続きます。)

故君子之作也   それゆえ、君子の作は、
 儼乎若高山   高く聳える山のように崇高で、
 勃乎若浮雲   湧き起こる雲のように勢いがあり、
 質素也如秋蓬  生地のままのところは秋の蓬のようであり、
 摛藻也如春葩  美しい言葉が敷き広げられるさまは春の花のようであり、
 氾乎洋洋    満ち満ちた水のように果てしなく広がり、
 光乎皜皜    白々と清らかに光り輝いて、
与雅頌争流可也  『詩経』の「雅」「頌」と正統性を競うこともできる。

ここに言及された秋の蓬は、
春に咲き誇る花と並んで、君子の作の辞句の美しさを形容しているのであって、
そこには、根を失い転々とさすらうものの影はありません。

このような蓬のイメージは、
「吁嗟篇」「雑詩六首」其二に詠じられたそれとはかけ離れています。

後半生の苦難を経た曹植に、
はたして前掲のような「秋蓬」を詠ずることができたかどうか。

人の気分は時々刻々と移ろっていくものですから、
どんな境遇にあっても、時には美しく柔らかなイメージを抱き得るとは思います。
けれども、一旦ある体験を経た者には、
ある事物に対して以前と同じイメージを持ち続けることは困難だと考えます。
もう二度と若い頃と同じ感受性で物事を見ることはできない。

そのように考えていくと、「前録自序」は、
まだ挫折を知らない若い頃の曹植によって書かれたように思われてなりません。

2025年10月30日