曹植「雑詩六首」其四と其一

「南国に佳人有り」と詠い起こす「雑詩六首」其四は、
その美しさが世に顧みられないまま、みすみす時を見送る佳人を詠じ、
一見したところ、一首を通して、昨日述べたような特異な表現は認められません。

世に容れられない人物の嘆きは、中国詩には珍しくないテーマです。
そして、そうした人物の筆頭格といえば、『楚辞』のヒーロー屈原です。
したがって、「佳人」が『楚辞』の言葉を用いて表現されるのも自然なことです。

では、この「佳人」はなぜ南国にいるのでしょうか。

訳注稿にも指摘しているとおり、この冒頭句は、前漢の李延年が、
その妹を武帝に推薦しようと詠じた「北方に佳人有り」云々の歌を思わせます。

ですから、詩としては必ずしも「佳人」は南国にいる必然性はありません。
そこに何らかの背景があって、敢えてそのような設定がなされたのかもしれません。

また、本詩がもしこの李延年の歌が設ける枠組みを借りているとするならば、
「佳人」は曹植が大切に思っている第三者を指すでしょう。
自身を、屈原のようなヒーローに見立てたと解釈することは困難です。

ところで、「雑詩六首」其一には、
万里の彼方、江湖の広がる南方にいる「之子」が詠じられていました。
「之子」といえば、『詩経』周南「桃夭」にいう、

桃之夭夭 灼灼其華  桃の夭夭たる 灼灼たる其の華
之子于帰 宜其室家  之子 于(ゆ)き帰(とつ)ぐ 其の室家に宜しからん

が想起されますが、
「桃夭」が詠ずるこの輝きに満ちた若々しい美しさは、
曹植「雑詩六首」其四の「佳人」にもそのまま当てはまるものです。

こうしてみると、其四に詠じられた「佳人」は、
其一の「之子」に重なると見ることができるかもしれません。*

ただし、そのような解釈が成り立つには、
「雑詩六首」がひとつのまとまりを成していることが前提となります。

2026年1月5日

*黄節『曹子建詩註』巻1は、そのような捉え方をしている。