曹植「離友」詩雑感
曹植に「離友」其一・其二という詩があります。
故郷の旧友との別れを詠じた、曹植二十二歳の時の作品です。
その訳注を見直していて気づいたこと、疑問に思ったこと若干を記します。
本詩は、ほぼ完全なかたちで現存するのは二首ですが、
『初学記』に佚文二句が伝存し、その押韻は其一、其二とも異なります。
ということは、曹植はこの時、少なくとも三首以上の詩を作ったと推定されます。
(このことは其二の余説に記しました。)
本詩は、友を見送る宴席上で作られたと見るのが妥当ですが、
その詩型は、「兮」字を挟んで前後に三字句を配する、『楚辞』九歌と同じものです。
この詩型が特に前漢の時代、歌謡に多用される現役の様式であったことは、
かつて何度か(直近ではこちら)言及したことがありますが、
曹植がここで九歌型歌謡という様式を取っていることに何が読み取れるでしょうか。
また、「離友」其二にいう
折秋華兮采霊芝 秋に咲く香草の花を折り取り 霊芝を摘んで
尋永帰兮贈所思 まもなく彼方へ帰ってゆく慕わしいあの方へ贈る
これに類する表現は、『楚辞』九歌「山鬼」にいう
「折芳馨兮遺所思(芳馨を折りて思ふ所に遺らん)」等、九歌に頻見するものであり、
更に、この詩想は「古詩十九首」其六にいう
「采之欲遺誰、所思在遠道(之を采りて誰にか遺らんと欲する、思ふ所は遠道に在り)」、
同其九にいう
「攀条折其栄、将以遺所思(条を攀りて其の栄を折り、将に以て思ふ所に遺らんとす)」
にも流れ込んでいるものです。
これらの古詩と、曹植「離友」詩とは、
源を同じくする『楚辞』九歌を介して表現を共有している、
もしくは、曹植詩は古詩と九歌との双方を踏まえていると見られます。
このことは、曹植詩研究と古詩研究との双方に対して、
重要な示唆を与えてくれるように思います。
それから、二十歳を過ぎたばかりの曹植が放つ言葉の瑞々しさです。
いくら宴席という場で作られた作品であっても、その真情は表われ出ます。
その後に成った曹植作品も、この詩に補助線を引いて読む必要があると思いました。
2026年1月13日