「責躬詩」の修正

昨日、平仄とともに記した「責躬詩」の通釈(現時点での仮の訳)に、
以前に示したものから、一部改変した部分があります。
それは、14行目
「ずらりと居並んだ、才徳兼備の人士たちは、我が片腕として輔佐に当たるのだ。」で、
対応する原文・訓み下しは次のとおりです。

済済雋乂  済済たる雋乂
我弼我輔  我を弼(たす)け我を輔(たす)く

これを、以前は次のように通釈していました。
「ずらりと居並んだ、才徳兼備の人士たちは、我が君の片腕として輔佐に当たるのだ。」

原文の「我」を「我がきみ」と訓じ、このように訳していたのです。
それは、「弼」や「輔」といった語が皇帝に対して用いられるものであるからです。
詳細は、こちらこちらの記事をご参照ください。

ところがその後、後漢王朝の清河孝王慶が、
皇帝に等しい特別待遇を受けていた事実を知りました。
こちらこちらの記事をご覧ください。)

この史実は、
曹植「聖皇篇」の読みに修正を迫るものでしたが、
同じ場面を組み入れて詠じる「責躬詩」の解釈にも波及します。

曹植らへの待遇が、後漢王朝と同様に破格であったのか、
曹植がそのように感じていたのか、そのように敢えて詠じたのか、
当時、「弼」や「輔」が『尚書大伝』の語義によらず用いられていたのか、
それは不分明なのですが、
前述のように改めた方が無理がない、と考えるに至りました。

2026年3月4日