疑問点を記すこと
「責躬詩」訳注稿の見直し作業に並行して、
これまで日々雑記の中で記してきた本作品に対する疑問を読み返しています。
(「札記」とは誠におこがましい限りで、「疑問」が妥当です。)
すると、史実と本作品とが食い違うと記したことのうち、
実はその「史実」は、むしろ曹植の言葉によって修正されるべきものである、
ということが、今は明らかとなっている事例が目に入ってきました。
特に大きいのは、曹植らが魏の都を離れ、各封土へ赴いた時期です。
これは、本作品の熟読、及びそれと彼の「諫取諸国士息表」との照合により、
黄初元年(220)から翌年はじめにかけてであったと今は言えます。*
曹丕が魏王であった延康元年(220)中のことではないようです。
(このこと自体は、すでに何度か述べています。)
疑問点を記してきてよかったと思いました。
分かったことばかりを書き連ねていたのでは打破できない壁でした。
彼自身による言葉の中には、
一般に語られている史実を修正する力があります。
私はそれを掬い上げ、彼の無念を晴らしたいとひそかに思います。
それとともに、魏王朝のリアルな空気を、文学作品を通して描き出せたらうれしい。
文学研究の立場から、歴史学研究に提供できるものがあるかもしれません。
(前にも書いたことかもしれませんが、敢えてまた。)
2026年3月6日
*柳川順子「黄初年間における曹植の動向」(『県立広島大学地域創生学部紀要』第2号、2023年)を参照されたい。