曹植「吁嗟篇」と『楚辞』卜居

昨日、曹植「苦思行」の訳注稿をひととおり終え、
「吁嗟篇」の読解に入りました。

この作品は、『三国志(魏志)』巻19・陳思王植伝の裴松之注にも引かれ、
曹植の心情をよく物語る楽府詩として、広く人口に膾炙しています。
ですから、なんとなく分かったつもりになっていました。

ところが、読み始めてすぐに、自分の蒙昧を思い知りました。
それは、黄節の次のような指摘によります。*

「吁嗟篇」の「吁嗟」は、『楚辞』卜居にいう、
「吁嗟黙黙兮、誰知吾之廉貞(吁嗟黙黙たり、誰か吾の廉貞を知らんや)」に基づく。

「吁嗟篇」の中の一句「誰知吾苦艱(誰か吾が苦艱を知らんや)」も、
前掲『楚辞』卜居の一句を踏まえる。

「吁嗟篇」の第二句に見える「居世」は、王逸『楚辞章句』卜居の序にいう、
「卜己居世何所宜行(己の世に居るに何れの所にか宜しく行くべきかを卜す)」を踏まえる。

「吁嗟」は、たしかに辞書類で用例の冒頭に上がるのは『楚辞』卜居ですが、
それでも、割合よく見かける感嘆詞ではあると言えます。

「居世」は、おおかたの辞書類には熟語として採録されていません。

また、「誰知吾○○」という措辞は、どこにでもある普通の言い方のように感じます。

もしこれらの辞句が単独で作品中に見えている場合は、
それらのひとつひとつが『楚辞』卜居に由来する表現だとは判断できません。
ですが、それらがすべて『楚辞』卜居に見える語だとなれば話は別です。

一篇の楽府詩の中に、来源を同じくする語が複数見えている場合、
そのひとつひとつがどんなにありふれた語句であっても、
その来源である作品を念頭に置いた表現なのだと捉えなくてはならないでしょう。

「吁嗟篇」を読む上で、
これまで「雑詩六首」其二との類似性にばかり目が向いていましたが、
『楚辞』卜居を下敷きにしていることを踏まえ、改めて読み直したいと思います。

2024年4月7日

*黄節『曹子建詩註』(中華書局、1976年重印)巻2、p.89。なお、この黄節の指摘は、後世の注釈家たちにはほとんど継承されておらず、曹海東『新訳曹子建集』(三民書局、2003年)p.229に、ある人の説として触れられているのみである。