曹植の「吁嗟篇」と「雑詩六首」其二

(昨日の続きです。)
曹植の「吁嗟篇」「雑詩六首」其二とは、
「転蓬」をモチーフとしている点で非常によく似ています。

ところで、「吁嗟篇」は『楚辞』卜居を踏まえていたのでしたが、
この点、「雑詩六首」其二の方はどうでしょうか。

確認すると、「雑詩」の方には、『楚辞』卜居に出自を持つ語、
「吁嗟」も「居世」も、「誰知吾○○」という措辞も見当たりません。

一方、「雑詩」で目に留まるのは、その結びに配せられた次の二句です。

去去莫復道  ああもうこのことは二度と口にするまい。
沈憂令人老  沈鬱な憂いは人を老け込ませてしまう。

これは、『文選』巻29「古詩十九首」其一を結ぶ次の四句を髣髴とさせます。

思君令人老  あなたのことを思えば、私はやつれて老け込み、
歳月忽已晩  歳月はあっという間に暮れてゆく。
棄捐勿復道  こんなことは打っちゃって、もう二度と言わないことにしよう。
努力加餐飯  どうぞお元気で、がんばってご飯を食べてください。

こうした表現は、「吁嗟篇」の方には見えていません。

同じ事物を詠じているようでも、
「吁嗟篇」と「雑詩六首」其二とでは何かが異なっている。
そのことが、かたや『楚辞』卜居、かたや「古詩十九首」に来源する表現に、
顕著なかたちで現れ出ているように感じます。

2024年4月8日