初平03年(192)38歳:巻12「毛玠伝」:(毛玠は乱を避けて荊州に赴いたが、劉表の政令に明らかならざるものあるを聞き、魯陽へ。)曹操が兗州に臨んで、毛玠を召して治中従事とした。毛玠は曹操に、「今天下は分裂状態で、国家の主は移ろい、人民は家業を捨て、飢えの中で流浪し、国家には一年間の蓄えもなく、人民は安定した気持ちも持てないので、久しく持ちこたえることはできない。今、袁紹や劉表は多くの士民を擁して強いとはいえ、皆遠謀深慮がなく、基盤もできていない。そもそも戦争は義ある者が勝ち、地位を守るのには財力が必要だ。天子を奉って服従しない者に命令を下し、農業を整え、軍資を蓄えるのがよい。そうすれば覇王となるのも不可能ではない」と語った。曹操は敬してその言を聞き入れ、彼を幕府の功曹とした。2-p.374*, 2-p.407** 只今、制作中です。