興平02年(195)41歳:巻1「武帝紀」裴注引『魏書』:ときに兵士たちは皆麦を取りに出かけており、残っている者は千人にも満たず、陣営は手薄だった。曹操はそこで婦人たちに陣営を守らせ、兵を挙げて防衛した。駐屯地の西に大きな堤があって、その南には樹木が鬱蒼と茂っていた。呂布はそこに伏兵が潜んでいるのではないかと疑い、「曹操にはたくらみが多いから、中に入るまいぞ」と言い合い、軍を率いて南十余里のところに駐屯した。翌日再びやって来たが、曹操は兵を堤のうちに隠し、半分の兵を堤の外に出した。呂布が益々進んできたので、そこで軽装の兵に戦いを挑ませ、合戦となってから、伏兵がみな堤の上に登り、歩兵・騎兵が一斉に出撃して打ち破り、その鼓車(陣太鼓を載せた車)を獲得、陣営まで追撃して帰還した。1-p.12*, 1-p.032** 只今、制作中です。