興平02年(195)41歳:巻1「武帝紀」:呂布は夜に乗じて遁走し、曹操は再び攻撃を仕掛けて、定陶を陥落させ、兵を分割して兗州諸県を平定した。呂布は東の劉備の下へ走った。張邈は呂布に従い、弟張超には家族を率いて陳留の雍丘を守らせた。秋八月、(曹操は)雍丘を包囲。冬十月、天子は曹操を兗州牧に拝す。十二月、雍丘が潰れ、張超は自殺。(曹操は)張邈の三族(父母・兄弟・妻子)を処刑した。張邈が袁術に救いを求めたが、その衆に殺され、兗州は平らぎ、かくして東方の陳の地まで攻略した。1-p.12*, 1-p.031**

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