興平02年(195)41歳:巻19「陳思王曹植伝」裴注引『魏略』:丁儀の父丁沖は、かねてより曹操と仲がよく、時に天子の車に随行していた。国家が未だ安定していないのを見て、曹操に書簡を送り、「あなたは日ごろ、常に天子を補佐したいという志をお持ちだったが、今がその時だ」と告げた。この時、張楊がちょうど河内に戻ってきていて、曹操はその書簡を受け取ると、車を率いて天子を迎えて東の許へ赴き、沖を司隷校尉とした。…(沖、過度の飲酒によって死亡)…曹操は沖が以前教示してくれたことに深く感謝していた。2-p.562*, 3-p.304** 只今、制作中です。