建安01年(196)42歳:巻14「郭嘉伝」:(郭嘉、初め袁紹に見え、その謀臣の辛評・郭図に、「袁紹は、周公の士人にへりくだるのを真似しようとしているが、人を用いる機微を知らない、いろいろとするが肝心なところがだめだ、謀略を好むが決断力が無い。ともに天下の大難を救い、覇業を成し遂げようとしても、難しい」と言い、かくしてそこを立ち去った。)潁川の戯志才を曹操は大変買っていたが、早くに亡くなってしまった。曹操は荀彧に書簡を送り、「戯志才亡き後、共にことを計る者がいなくなった。汝・潁はもとより奇士が多いらしいが、誰が彼の後を継ぐことができるだろうか」と問うと、荀彧は郭嘉を推薦した。曹操は彼を召してともに天下のことを議論した。曹操は、「私に大業を完成させるのはきっとこの人だ」と言い、郭嘉も退出すると喜んで「真の我が君主だ」と言った。表せられて司空の軍祭酒となった。2-p.431*, 3-p.024** 只今、制作中です。