建安01年(196)42歳:巻13「王朗伝」裴注引『王朗家伝』:王朗が若い頃交際していた劉陽は、漢王室が衰退していく一方、曹操が武勇の才を持っているために漢王室の禍となるのではないかと憂慮し、そこで努めて曹操の勢力を排除しようとしたがうまくいかなかった。曹操は貴顕の地位に就くと、彼の子を捕らえようとした。王朗は、逃げ場のなくなった劉陽の子を長年匿い、会稽から帰還して以降は、何度も曹操に申し開きをしてやったので、劉家は無事だった。2-p.408*, 2-p.487**

只今、制作中です。