建安02年(197)43歳:巻17「于禁伝」:曹操が張繍に敗れた時、軍は乱れ、諸将は間道を行って曹操を探したが、于禁だけは率いている数百人を指揮して戦いながら退却し、死傷者があったが離反はしなかった。同じく曹操に属している青州兵の略奪を知ると、彼らを討伐し、その罪を責め立てた。青州兵は曹操に訴えたが、于禁は賊軍の追撃への備えをした上で、おもむろに曹操に具申した。曹操は喜び、前後の功績を録して、于禁を益寿亭侯に封じた。2-p.522*, 3-p.222**

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