建安02年(197)43歳:巻14「郭嘉伝」裴注引『傅子』:曹操は郭嘉に、「袁紹は広大な土地と強力な軍隊を持ち、しばしば不遜な行為に出ているから征伐したいが、力では太刀打ちできない、どうすればよいか」と問いかけた。郭嘉は言った。「……袁紹には失敗の種が十あり、公には勝利の種が十ある。袁紹は面倒な礼儀作法を好むが、公は自然であって、この点は道で勝っている。袁紹は天子に逆らうという行動をとるが、公は順がうという姿勢で天下を従え、この点は義で勝っている。漢末は寛により政治が失敗したが、袁紹は寛により寛を救おうとしてうまくいかないのに対して、公は猛によって正し、上下とも制度をわきまえており、この点は治で勝っている。袁紹は外面的には寛大だが内心は猜疑心が強く、人を用いるのに信用しきれず、信任しているのは親戚や子弟ばかりだが、公は外は簡略、内面は機敏明晰、人を用いるのに疑わず、ただ才能のみを問題としており、この点は度量において勝っている。袁紹は様々に謀を設けるが決断力に乏しく、時機を逸するが、公は策が得られればすぐに実行して臨機応変、これは謀において勝っている点だ。袁紹は歴代の資によって高尚な議論と謙虚な態度で名声を得、言論を好みうわべを飾る士人は多く彼に帰属したが、公は真心で人を待遇し、虚飾を廃してつつましい態度で下の者を率い、功績のある者には惜しげなく賞与を与えるので、忠正で遠くまで見通している実力のある士人はみな用いられたいと願っている。この点は徳において勝っている。袁紹は目の前のことにしか配慮をしない、いわば婦人の仁というものに過ぎないが、公は時に眼前のことをおろそかにすることはあるが、大事においては配慮が行き届き、これは仁の勝っている点だ。袁紹は讒言に惑わされるが、公はそのようなことはなく、これは聡明さにおいて勝っている点だ。袁紹は善悪の基準が明確でないが、公は正しいものを礼遇し、不正なものは法をもって処罰する、これは文において勝っている点だ。袁紹は虚勢を好むが、兵法の要を知らないのに対して、公は少数をもって多数に打ち勝ち、兵を用いること神の如くで、軍人はこれを頼りにし、敵はこれを畏れる。これは武において勝っている点だ」と。曹操は笑って言った。「君の言うことに、私はどのような徳をもって応えようか」と。郭嘉はまた言った。「袁紹は今、北に向かって公孫瓚を攻撃しているから、その遠征に乗じて、東に向かい呂布を討ち取るのがよい。まず呂布を討ち取らないと、もし袁紹が災いを起こし、呂布がその援助をしたら、これは深刻な被害となる」と。曹操は、「そのとおりだ」と言った。2-p.432*, 3-p.024**

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