建安04年(199)45歳:巻25「楊阜伝」:楊阜は、州の従事として牧の韋端の使者として許都に赴いた。帰還した楊阜に関右の諸将は袁紹と曹操の優劣について聞いた。楊阜は「袁公は寛大だが優柔不断で、謀はするが決断力に劣る。優柔不断だと威厳がなく、決断力がないと事をしくじる。今は強くても結局は大業を成し遂げることはできないだろう。曹公は雄大な才能に遠大な謀略、時機を見て決断をするのに迷いがなく、規律は統制がとれていて精兵ぞろい、規格はずれの人間をもよく用いることができ、彼らはそれぞれ持ち味を存分に生かしきっている。きっと大事を成し遂げることができるに違いない」と答えた。後に孝廉に選ばれ、丞相府に辟されたが、州は引き留めて軍事に参与させた。3-p.700*, 4-p.113** 只今、制作中です。