建安05年(200)46歳:巻1「武帝紀」裴注引『曹瞞伝』:曹操は許攸がやってきたのを聞くと、つま先だってこれを迎え、手をたたいて笑って言った。「君が来たから、我が事はもう解決した」と。許攸は座に迎え入れられると、曹操に「袁氏は軍勢盛んだが、どう対処するか。今どれほどの食料があるか」と聞いた。曹操、「まだ一年程は持ちこたえられる」と。許攸、「そんなはずはない、もう一度答えよ」と。「半年は持ちこたえられる」と。許攸、「あたなは袁紹を打ち破りたくないのか。どうして本当のことを言わないのか」と。曹操、「先ほどの言葉は冗談だ。実際は持って一ヶ月だ。どうすればよいだろうか」と。許攸、「公は単独で守り、外には救援なく、食料はすでに尽きている。これは危急のときだ。今、袁氏は輜重万余乗、故市・烏巣に駐屯して厳重な防備がない。今、軽兵でこれを襲撃し、不意をついて至り、その貯蔵を焼けば、三日を過ぎずに袁氏は自ら敗れるだろう」と。曹操は大いに喜び、精鋭の歩兵騎兵を選び、みな袁紹の軍旗やのぼりを用いて、枚を噛み馬の口を縛って、夜に間道から出た。束ねた薪を抱え、道中に問う者があれば、「袁公は曹操が後軍を荒らすのを恐れ、兵を遣って守備を増やしているのだ」と答え、聞くものはみな信じた。到着して、駐屯地を囲み、大いに火を放つと、陣営の中は驚き混乱した。大いにこれを破り、その糧食や財宝を悉く焼き、督将の眭元進・騎督の韓莒子・呂威璜・趙叡らの首を斬り、将軍淳于仲簡(淳于瓊?)の鼻を削いで、まだ死なず、士卒千余人を殺し、みな鼻を取り、牛馬はその唇下を削ぎ、もって袁紹軍に示した。将士はみな恐れた。時に夜、ある者が淳于仲簡を捕らえて本陣に連れてきた。曹操が「どうしてこうなったのだ」と問えば、淳于仲簡、「勝負は天が決めることだ。どうして問う必要があろう」と。曹操は殺さないでおきたいと思ったが、許攸が「明朝鏡を見れば、いよいよ自分たちへの恨みを忘れないだろう」と言ったので、殺した。1-p.21*, 1-p.049** 只今、制作中です。