建安05年(200)46歳:巻22「陳矯伝」:(陳矯、太守陳登の功曹となり、許都へ赴いて、陳登の評判を聞き取る。)陳登、孫権のために郡を包囲されて、陳矯を使者として曹操に救援を求めた。曹操は陳矯を気に入って引き留めようとするが、陳矯は辞退し、かくして曹操は救援に赴く。呉軍、敗退。その後、曹操は陳矯を辟して司空掾属とした。(繋年については『資治通鑑』巻63・漢紀55に注記有り)3-p.643*, 3-p.487** 只今、制作中です。