建安06年(201)47歳:巻12「何夔伝」:曹操が新しい条例を作って州郡に下そうとし、また租税と綿絹を取り立てようとしたところ、何夔は、郡が立ったばかりだし、出兵の直後なので、急に法律で縛ることは不適切だと考えて意見を述べた。曹操はその言に従った。海賊の郭祖が楽安・済南の一帯を荒らしまわり、州郡は苦しんでいた。曹操は何夔が以前長広で威信のあったことにより、彼を楽安太守に拝した。官に到着して数ヶ月で、諸城は尽く治まった。2-p.380*, 2-p.420**

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