建安07年(202)48歳:巻1「武帝紀」:春正月、曹操は譙に駐屯し、令を発して、「私は義兵を起こし、天下のために暴乱を取り除いた。旧い土地の人民は、ほとんど死滅してしまい、国中を一日歩き回っても、知り合いに出会わず、非常に悲しい気持ちだ。それ義兵を挙げて以来、将士が亡くなって跡継ぎのいない場合は、その親戚を求めてその跡継ぎとし、田畑を授け、官より耕牛を支給し、学師を置いて教育せよ。存する者のためには廟を立て、その先人を祭らせよ。霊魂があるなら、我が百年の後にも何の恨みがあろうか」と。かくして浚儀に至り、睢陽渠を治め、使者を派遣して大牢の犠牲を捧げて橋玄を祀った。曹操は軍を官渡へ進めた。1-p.22*, 1-p.052**

只今、制作中です。