建安07年(202)48歳:巻13「鍾繇伝」裴注引司馬彪『戦略』:袁尚は高幹・郭援を遣って匈奴の単于と河東を荒らしまわらせ、使者を遣って馬騰・韓遂らと連合しようとし、馬騰は密かにこれと通じようとした。傅幹は馬騰に、曹操と袁氏とを比較しながら、天子を奉戴して諸悪を誅する曹操に道義のあること、その曹操に背けば天子から処罰を受けるであろうことを説き、袁尚軍の高幹・郭援を伐つことを勧めた。馬騰はこれに従って、子の馬超を派遣した。馬超は、韓遂の軍と連合し、鍾繇と力を合わせて郭援を打ち破った。2-p.393*, 2-p.450** 只今、制作中です。