建安09年(204)50歳:巻1「武帝紀」:八月、審配の兄の子の栄が、夜、守っていた城の東門を開き、(曹操軍の)兵を入れた。審配はこれを迎え撃ったが破れ、生け捕りとなって斬られ、鄴は平定された。曹操は袁紹の墓に臨んでこれを哭して涙を流し、袁紹の妻を慰労し、その使用人や宝物を返還し、絹や綿を賜り、官から食料を支給した。1-p.25*, 1-p.057** 只今、制作中です。