建安09年(204)50歳:巻10「荀彧伝」:鄴を破り、冀州牧となった曹操に、ある人が、「再び九州の制度をおけば、冀州の治める所は広大となり、天下が服従するだろう」と説いた。曹操はこれに従おうとしたが、荀彧は、「もしそうなれば、冀州は河東・馮翊・扶風・西河・幽州・并州の地を得ることになり、奪う所は多い。前に公が袁尚を破り、審配を生け捕りにした時、海内は震え上がり、人々は自分の土地を保ち、その兵衆を守ることができないのではないかと恐れた。今もし冀州に分属させられるとなれば、みな動揺するだろう。しかも人は多く関右の諸将に関を閉じる計略を説いているから、今このことを聞けば、順番に奪われるに違いないと考えるだろう。一旦事変が起これば、善良なる者も一転して脅かしあい悪事をなすことになるだろう。そうなると、袁尚はその死を免れ、袁譚は二心を懐き、劉表はついに江漢の一帯を保持することになり、天下を平らげることはまた容易でない状態になる。どうか公には急いで兵を率いて、まず河北を平らげ、それから旧京(洛陽)を修復し、南のかた荊州に臨んで貢を入れないことを責められよ。そうすれば、天下の人々はみな公の考えを知って安心できるだろう。天下が大いに定まってから、始めて古の制度について議すればよい。これが国家を永続させる有利な方法である」と説いた。曹操はかくして九州の議を取りやめた。2-p.315*, 2-p.251** 只今、制作中です。