建安10年(205)51歳:巻26「牽招伝」:曹操が南皮に袁譚を破ると、牽招を軍謀掾とし、烏丸討伐に従わせ、柳城まで来ると、護烏丸校尉に拝した。鄴に帰還すると、遼東から袁尚の首が送られてきたので、馬市に掛けた。招はこれを見て悲しみ、首の下で祭を設けた。曹操はこれを義として茂才に推挙した。3-p.731*, 4-p.175** 只今、制作中です。