建安10年(205)51歳:巻49「呉書・太史慈伝」:(太史慈は弓の名手)曹操は太史慈の名を聞きつけると、書簡を送り、文箱に入れて封をし、開けてみても何も書いてなく、ただ当帰という薬草が入っているだけだった。孫権が統治するようになって、太史慈は(劉表の従子の)磐をよく制圧できるということで、南方のことを任された。5-p.1190*, 6-p.276** 只今、制作中です。