建安11年(206)52歳:巻1「武帝紀」裴注引『魏書』:十月乙亥令に、「そもそも世の中を治め人民を御するのに、補佐役を立てる上で、警戒すべきは面従ということだ。『詩経』にも「我が謀を聴用し、大悔無からんことを庶ふ」(大雅「抑」)とあるが、これは実に君臣の切なる願いである。私は責任の重い任務にあたって、常に中正を失うのではないかと懼れているが、このところ良き進言を聞かない。いったい私が人材を招くことに不熱心だったという過ちのためであろうか。これより以後、諸掾属の治中・別駕は、毎月一日、それぞれその分野の失策を進言せよ。私はそれを見よう」と。1-p.28*, 1-p.062** 只今、制作中です。