建安11年(206)52歳:巻1「武帝紀」:二月、曹操は淳于より鄴へ戻った。丁酉(五日)、次のような令を発した。「私は義兵を起こして暴乱を誅伐し、今に至るまで十九年となったが、征伐すれば必ず勝利を収めた。これはどうして私の功績であろうか。賢明なる士大夫の力があったからこそである。天下はまだ完全に平定されてはいないが、私はぜひとも賢明なる士大夫諸君とともにこれを平定したい。それなのにその手柄による報酬を一人で享受するというのでは、私はどうして落ち着いていられよう。それ論功行賞を速やかに行うように」と。そこで、功臣二十余人を列侯に封じ、その他の者にも、功績に従って順に封爵を授け、戦没者孤児に対しても、それぞれ軽重の差をつけて恩賞を与えた。1-p.28*, 1-063**

只今、制作中です。