建安11年(206)52歳:巻14「郭嘉伝」:曹操が袁尚及び三郡の烏丸を征伐しようとした時、多くの臣下は、劉表が劉備を使って許を襲い曹操を討伐するのではないかと懼れたが、郭嘉は、「胡は遠方にあることを恃んできっと曹操の軍に対して備えをしていないだろうから、勝てる。袁紹は民に恩を与え、その子の袁尚兄弟は存命している。今四つの州(青・冀・幽・并)の民は威力をもって従わせているだけで、徳を施すことはまだしていないから、これを差し置いて南征すれば、袁尚は烏丸を根拠にして、その死んだ主の臣下を招くだろう。胡人が一度動けば、民もこれに応じ、烏丸の高望みの気持ちを引き起こし、青州・冀州の土地の保持も危うくなるだろう。劉表は座談の客に過ぎず、自ら劉備を御する力のないことは心得ているから大丈夫だ。国を虚しくして遠征することに憂いは無用だ」と言い、曹操はかくして烏丸征伐に向かった。烏丸征伐において、郭嘉は優れた謀略を進言した。2-p.434*, 3-p.031** 只今、制作中です。