建安12年(207)53歳:巻1「武帝紀」:その初め、遼東太守の公孫康は、中央から遠く離れた所にいるのを頼みに服従していなかった。曹操が烏丸族を破ると、ある者が曹操に、彼を征伐すれば、袁尚兄弟は虜にできる、と進言した。曹操は、「私は公孫康に袁尚・袁煕の首を送ってよこさせようとしている。兵を煩わせることはない」と言った。九月、曹操は兵を率いて柳城から帰還し、公孫康はすぐに袁尚・袁煕及び速僕丸らを斬って、その首を届けてきた。諸将のある者がそのわけを問うと、曹操は、「彼はもとから袁尚らを恐れていた。私が緊迫した態度で臨めば力を合わせるだろうが、こちらの出方を緩めれば自ら事を図る。事の勢い上、自然そうなるのだ」と言った。1-p.29*, 1-p.065** 只今、制作中です。