建安13年(208)54歳:巻11「田疇伝」:荊州征伐から帰還すると、曹操は田疇の功績がことさらにすばらしかったことを思い出し、以前に田疇の辞退を許したことを恨みに思って、「これは一人の人間の志を成就させてやったのだが、王法大制にもとることになる」と言って、再び前の爵位で田疇を封じようとした(同伝裴松之注に引く『先賢行状』に曹操の命を載せる)。田疇はあくまでも固辞したが、曹操は聞き入れず、引き留めて官に任命しようとすること四度に及んだが、田疇は最後まで受けなかった。ある役人が、田疇の狷介さを弾劾したが、曹操は躊躇した。そこで、曹丕や大臣たちに議論させた。曹丕、荀彧、鍾繇は、田疇の願いを聞き入れるのがよいと判断したが、曹操はそれでも田疇を侯にしたいと思った(同伝裴松之注に引く『魏書』『魏略』に、彼らの議論を載せる)。田疇はもともと夏侯惇と仲がよかったので、曹操は夏侯惇を通じて田疇を説得したが、それでも屈服しなかったので、議郎に任命した。2-p.343*, 2-p.319**

只今、制作中です。