建安13年(208)54歳:巻14「程昱伝」:曹操が荊州を征伐し、劉備は呉に逃げた。論者は孫権はきっと劉備を殺すだろうと考えたが、程昱は次のように推量した。「孫権は即位したばかりでまだ海内に畏れられてはいない。曹操は天下に無敵で、荊州を奪ったばかりなのに、その威力は江表を震え上がらせている。孫権は謀略に優れてはいても、一人で事に当たることはできない。劉備には名声があって、関羽や張飛はどちらも万人の敵だから、孫権はきっと彼らの力をもとにして我々を防御するだろう。困難が解消されれば勢力は二つに分かれるだろう。劉備はこのことをもとにして成功するだろうし、また捉えて殺されることはできないだろう」と。孫権は果たして多くの兵を劉備に与えて曹操を防御した。この後、中原は次第に平定され、曹操は程昱の背中を叩いて言った。「兗州で敗れたとき、君の意見を用いなかったら、私はどうしてここまで来れただろう」と。宗人は牛酒を奉って大いに酒宴を開いたが、程昱は、「足るを知れば辱められず。私は以て退くべきだ」といい、自ら上表して兵を返還し、門を閉じて外出しなくなった。2-p.428*, 3-p.018**

只今、制作中です。