建安13年(208)54歳:巻39「蜀書・劉巴伝」:劉巴、若くして名を知られ、劉表に何度も辟され、茂才に挙げられたが、いずれにも就かなかった。劉表が亡くなって、曹操が荊州を征伐すると、先主(劉備)は江南に奔り、荊・楚の士人たちは雲のごとく先主に従ったが、劉巴だけは北に向かい、曹操のもとに至った。曹操は辟して掾とし、長沙・零陵・桂陽に帰順するよう呼びかけさせた。ちょうど先主がこの三郡を侵略してきたので、劉巴は曹操の命を受けることができなくなり、かくして遠く交阯へ赴いた。4-p.980*, 5-p.249**

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