建安13年(208)54歳:巻1「武帝紀」裴注引『山陽公載記』:曹操の船は劉備に焼かれ、軍を率いて華容の道から歩いて帰ったが、泥濘に行き当たって通れず、また大風が吹いたので、弱い兵士に草を背負わせ、泥濘を充填して騎馬でやっと通れた。弱い兵士たちは人馬のために踏みつけられて泥の中に沈み、多くの死者が出た。軍がみな脱出できてから、曹操は大喜びした。諸将がこれを問うと、曹操は「劉備は私と同等だ。ただ計略を思いつくのが少し遅い。もし早くに放火されていたら、私はただもう全滅だっただろう」と答えた。劉備はまもなく火を放ったが、間に合わなかった。1-p.31*, 1-p.069** 只今、制作中です。