建安13年(208)54歳:巻54「呉書・周瑜伝」:九月、曹操が荊州に入ってきて、劉琮は衆を挙げて投降し、曹操はその水軍を手に入れた。孫権は群臣を集めて計略を問うた。議する者たちは、「曹操は豺虎なのに、漢の宰相と名乗り、天子を擁して四方を征圧し、どうかすると朝廷を口実にしているので、今日これを拒むと事は面倒になる。そもそも曹操の襲来を拒むことができたのは長江のおかげだったが、今曹操は荊州を手に入れて、長江の険阻は、我が軍も曹操軍も等しく是を共有している。しかも、勢力ではとてもかなわない。ここは曹操軍を迎え入れた方がよい」と言ったが、周瑜は、「曹操は漢の宰相という名に託して、実は漢の賊である。……曹操は自ら死ににやってきたようなものなのに、これを迎え入れてよいものか。……馬超や韓遂がなお関西にいて、曹操の後患となっている。また、中原の人々は船での戦いに慣れていない。今は冬で馬を養う草に乏しい。中原の人々は慣れない土地を移動しているのできっと疫病が発生するだろう。これらのリスクを曹操はみな冒している。将軍は曹操を今こそ捕らえるべきだ。」と言って曹操討伐を申し出た。5-p.1261*, 7-p.054** 只今、制作中です。