建安13年(208)54歳:巻47「呉書・呉主伝」:孫権は、周瑜・程普を左右にし、劉備とともに進軍して、赤壁で曹操の軍を大いに破った。曹操は残りの船を焼いて退却し、士卒は飢え病に倒れ、大半が死んだ。劉備や周瑜らは南郡まで追撃し、曹操はかくして北へ帰り、曹仁と徐晃を江陵に留め、楽進に襄陽を守らせた。……曹操は荊州から帰ると、張喜を合肥に遣った。未だ至らずして、孫権は退却した。5-p.1118*, 6-p.078**

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