建安15年(210)56歳:巻10「荀彧伝」裴注引『献帝春秋』:(200年、董承、誅せらる。伏后が伏完に宛てた手紙について、荀彧は久しく沈黙していた。)荀彧は後に事の発覚を恐れ、自らこれを明るみに出そうとして、自ら求めて使者として鄴に赴き、曹操に娘を皇帝に配してはどうかと勧めた。曹操が「今朝廷には伏后がいるのに、私の娘がどうして皇帝に配せられるのか。私はわずかな功績が認められて宰相の位に就いているのに、どうしてこの上更に娘の寵愛に頼ろうか」と言うと、荀彧は「伏后には子が無く、かつて父に書簡を送りってその言が醜悪であったから、これに因って廃するのがよいだろう」と言った。曹操が「君はその昔どうしてこのことを言わなかったのだ」と言うと、荀彧は驚いたふりをして「昔すでに公に言いました」と。曹操が「このことはどうして私が忘れるほど小さなことだろうか」と言うと、荀彧はまた驚いて「本当に公に話していなかったでしょうか。昔、公は官渡で袁紹と対峙していたので、内部のことについての思い煩いを増やしはしないかと恐れて、それで言わなかったのでしょう」と。曹操が「官渡の後、どうして言わなかったのだ」と言うと、荀彧は答えず、落ち度をわびるばかりだった。曹操はこれによって荀彧を恨んだが、外面上は容認するように見せたので、世の人々は曹操の本心を知ることはできなかった。2-p.318*, 2-p.260** 只今、制作中です。