建安15年(210)56歳:巻54「呉書・周瑜伝」:劉備、京(鎮江)で孫権に会見し、荊州の借用を申し出る。周瑜は上疏して、これに反対したが、孫権は、曹操が北にいるので英雄を広く手なずけるべきだと思い、また劉備を征圧することは難しいのではないかと判断して、その進言を納れなかった。この時、劉璋が益州牧で、張魯の侵略に苦しんでいた。周瑜は京で孫権に会見し、曹操が敗戦したばかりで内部から事変がおこるのではないかと憂えている今、北方に出陣すべきだと進言し、孫権はこれを許可したが、周瑜はまもなく死去した。5-p.1264*, 7-p.061** 只今、制作中です。